2015年12月18日金曜日

璃子の誕生日


去る13日は、璃子の誕生日でした。
ついこのあいだ、生まれたばかりなのに、もう5歳になりました。


まだ保育園の年中ですが、だいぶしっかりしてきました。
ずっと変わらないのは、旺盛な食欲と、大きな声です。


当日は、璃子のリクエストで、パエリアと焼き肉でした。

プレゼントは「マナー豆」というゲームです。

プラスチックのお箸で、滑りやすい小さな豆を、ひとつずつつまんで碁盤に並べてゆきます。
おとなでも、かなり集中しないとポロリと落としてしまいます。


ごはんを腹いっぱい食べたのに、
もうケーキが食べたくて仕方ありません(苦笑)


アーちゃんもおしょうばんです。

この次は、また大晦日に、年賀を兼ねて泊りに来ます。
いまから楽しみにしています。


















金田福一兄によるみことばの説き明かし


・主なるキリスト


きょうダビデの町で、あなたがたのために、
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。【ルカ2:11】



私はある日、救い主なるイエスさまが、
私の眼前におられることに気づきました。

いつでも、私と共にいてくださることに
気づきました。

眼前のイエスさまから、
私を生かしてくださるいのちの力が、
私の体に注がれていることを知りました。

その日から、「主よ」と、
お呼びすることを知りました。

それまで、どんなに聖霊の勉強をしても、
罪の支配から、
抜け出ることができませんでした。

絶望と、自暴自棄と、悲しみから、
逃れることができませんでした。

救い主なるイエスさまが、
生きておられることを、
知らなかったからです。

しかし、イエスさまは、
私のようなものを発見し、
この方こそ主キリストであることを、
私にお示しくださったのです。














プリンターが壊れた!


年末で、クリスマスカードや年賀状など、いちばん必要な時なのに
突然、プリンターが壊れました(>_<)

エプソン製だったこのプリンター複合機は、とても大きくて重かったです。
ごくろうさんでした。

どうもこうも言ってられないので、さっそく新しいのを買いました。
今度はキャノン製です。やっぱりスキャンもできる、複合機です。


色も、ほこりや指紋が目立たないホワイトにしました。
機械の厚みが薄くて、スマートです。

買ってみてわかったのですが、前のに比べて、ずいぶん音が静かです。

ただ、例えば、はがきを刷ろうとすると、前のは120枚ぐらいカセットに入れられたんですが、
こんどのは40枚ぐらいしか入りません。
厚手のはがきだと20枚ぐらいで、その点がちょっと面倒です。

でもエプソン製のも、連続して5、60枚刷ると、エラーが出ていましたから
まあ同じようなものですかね。



ということで、年賀状も刷りあがりました。
あとは、ひと言コメントを書いて、切手を貼ってと。。。

でも、自宅で印刷するようになってから、年賀状作りが画期的に楽になりました。
宛名も、むかしはぜんぶ毛筆で、手書きしていましたから、大違いです。

便利な世の中になりました。














ウォッチマン・ニーのThe Lord is my portionより


『あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
 あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。』【ピリピ 4:6】
 

なんの思い煩いもないキリスト者というのは、
私はほとんど会ったことがありません。
ほとんどすべての方はたくさんの心配事で
押し潰されそうになっています。

あるところに 7 人の息子を持つ母親がいました。
この母親はこう述べました、
『私はこの息子たち全部が無事に成長して、救われるまで、
皆のことが心配で心配で、死にそうなほどです。』

ある兄弟がこの人に心配することは間違っている、
実のところ心配は罪であると言ったところ、
この女性はこう言い返しました、
『母親ならば、自分の子供のことで心配するのは当たり前です。
心配しなければその方が罪です。』

そこでこの兄弟は、彼女にピリピ書 4 章 6~7 節を見せました。

それでも、彼女はここに書いてあるような心配は、
おそらく自分が持っているような心配事とは違う類のものだと考えました。

この人の考えでは、妻が夫のことを心配し、
親が自分の子供のことを心配し、
商人が自分の商売のことで思い煩うのは当然のことだったからです。

しかし、私たちは聖書がきっぱりと、
『何も思い煩わないで』を言っていることをはっきりと覚えましょう。絶対に!



2015年12月11日金曜日

ああ青春の日々よ。

先日、旧友が、我が家を訪ねてくれました。
サンフランシスコ在住のFちゃんです。
今回の訪日で、二晩、
ウチに泊まってくれました。



僕たちは、約50年前(!)、
某大学の、アメリカ民謡研究会に所属していて、
たくさんの外国曲をコピーして歌っていました。

PETER PAUL&MARYや MAMAS AND PAPAS。
BROTHERS FOUR, KINGSTON TRIO,
BOB DYLAN, BEATLESらの曲を来る日も来る日も歌っていました。
ちょうど、学生運動が盛んだった時で、
学内でも毎日、集会が開かれていました。
でも僕たちは、そんなことに一切かかわらず、
がらんとした校舎で歌っていました。



その頃は、今ほど音楽環境や楽譜が充実しておらず、
ぜんぶ、自分たちで何とかしなければなりませんでしたが、
毎日、とっても充実していて、楽しい日々でした。

レコードジャケットに書かれてある歌詞を、書き写して、
それに、ギターコードやコーラスも、耳で聞きとって
ああでもない、こうでもないとやりながら、愉しんでいました。。

PPMが使っている、トゥーフィンガーピッキングを
完全コピーするべく、勉強そっちのけで
電蓄の音に、耳を傾けました。


また、あちこちのフォークソングコンサートや、
地方のテレビなどにも出演していました。

そんな練習の成果が表れて、
関西学生フォークソング連盟主催のオーディションで
1位を取ったこともありました。

そして、忘れてはならないのが、
このクラブ活動で、僕は、家内と巡り合ったのです。

それまでは、お互いに別々のPPMバンドで歌っていたのですが、
それらが自然解散になり、
新しくMAMAS AND PAPASのバンドができたので
僕もその一員となったのでした。
メンバーは、男性3人と女性ふたりで、
The 4+1(ザ・フォー・プラスワン)という名のバンドでした。

家内やFちゃんとも、そこで一緒になり、合宿にも行ったりで、
仲良くなりました。

Fちゃんは、僕たちの舞台衣装も
作ってくれたり、合宿所の近くにあった
自宅にも招いたりもしてくれました。

学校を卒業して、お互いに結婚して、
Fちゃんはサンフランシスコに行ったのですが、
ずっと今まで、友達でいられたのは
やっぱり音楽があったからなのでしょうね。

50年たったいまでも、一緒に歌ったら
ピタッとハモれます♪

もうお互い、孫のいる歳になりましたが、
きっとこれからも、良い友達でいられることと思います。

Fちゃん、また来てね!























金田福一兄によるみことばの説き明かし


・主なるキリスト


きょうダビデの町で、あなたがたのために、
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。【ルカ2:11】



私はある日、救い主なるイエスさまが、
私の眼前におられることに気づきました。

いつでも、私と共にいてくださることに
気づきました。

眼前のイエスさまから、
私を生かしてくださるいのちの力が、
私の体に注がれていることを知りました。

その日から、「主よ」と、
お呼びすることを知りました。

それまで、どんなに聖霊の勉強をしても、
罪の支配から、
抜け出ることができませんでした。

絶望と、自暴自棄と、悲しみから、
逃れることができませんでした。

救い主なるイエスさまが、
生きておられることを、
知らなかったからです。

しかし、イエスさまは、
私のようなものを発見し、
この方こそ主キリストであることを、
私にお示しくださったのです。






2015年10月22日木曜日

60代のおっさん3人のツーリング

ここのところ、秋晴れの日々が続いています。

朝夕は、ちょっと肌寒いくらいですが、昼間は汗ばむほど。

でも、バイクにもってこいの季節です。


そんな中、先日、いつものNさんUさんと共に、
丹波篠山まで、枝豆刈りツーリングに行ってきました。

篠山と言っても、かなり西部に位置する枝豆畑まで行ったので
けっこう遠かったです。

朝10時に、現地に着かないといけないので、
往路はハイペースでした。

NさんUさんと私は、メーカーは違うけれども、
3人とも125ccのスクーターなので、
同じようなペースで走れます。


10時をちょっと回ってしまいましたが、着きました。
これ全部枝豆畑です。


いやー、天気は良いし、周り一面畑なので、広々としていて、とても気分がいいです。


収穫作業をしていたので、途中の写真がないですが、ここの畑では一株当たりいくらという勘定なので、ズボッと抜いてきては、このようにどっかりと腰を下ろして、枝から枝豆の鞘をもぎ取って、
ビニール袋に入れるという作業を、1時間余りやりました。

Nさんは、毎年来ているそうなのですが、私は初めてだったので、なかなか面白かったです。


丹波の枝豆は色が黒くて粒が大きいのだそうです。
あまり緑緑しているものより、ちょっと鞘が茶色くなっているもののほうが
おいしいのだそうです。


ちょっとピンボケですが、この畑のオーナーが、機械を使って収穫作業をしておられます。
枝、葉と身を自動選別する機械を使っておられましたが、
機械の力ってすごいですね。


ちょっとの間に、これだけ収穫されました。
われわれは、中腰で作業したので腰が痛くなりました。

行きは急いだので、帰りはあちこちに寄りました。


付近の地図を見たら、東条湖、姫路の近くまで来ているんだと分かりました。



ここには温泉が出ているそうで、次から次へとお客さんが来ていました。


昼食によった食堂のメニューです。きつねうどん、昆布うどん200円!


まあ出てきたものを見たら、確かに200円なりのものでしたが
いまだったら、学食でももう少し高いかも知れませんね。


休憩に寄ったセブンイレブンに置いてあった配達用の電気自動車です。


なかなか可愛らしいスタイルですね。
見ていて楽しくなりました。


ということで、本日の走行距離、150kmでした。



























金田福一兄によるみことばの説き明かし



・平安の持続


イエスは彼らに言われた。
「どうしてそんなにこわがるのです。
信仰がないのは、どうしたことです。」【マルコ4:40】



救われた信仰生活は、大安心の世界です。

不動の平安を、すぐに回復し、
持続していくことができるのです。

しかし、その平安は、
自力で作り出すものではありません。

イエスさまが、いつでも、私のそばに、
私と共に居て下さるという、安心感にすぎないのです。

また、そのイエスさまから、
与えられるものにすぎないのです。

それでは、どうしたら、
持続する平安の生活は、始まるのでしょう。

それは、心と目を、自分に注ぐことをやめて、
悲しい時にも、失敗した時にも、
どんな時にも、共に居て下さるイエスさまの、
御約束の絶対性と、そのイエスさまご自身に、
心と目を注ぐようにされた、
その時から始まるのです。









2015年9月30日水曜日

日吉ダム プチツーリング

季節は巡り、出かけるのに最高のシーズンになってきました。
今回はUさんと、日吉ダムに行ってきました。

老の坂を越えて、園部まで行くのですが、
9号線はずっと混んでて、のろのろ運転になりました。

まずは丹波の道の駅で小休止。




去年は、転倒、骨折があったので、ずっと会っていなかったUさんとも久しぶりに会えました。

園部から、県道19号線に沿ってしばらく行くと、日吉ダムに到着しました。


平日なので、だれもいません。
天気も良くて、空が青いです。
素晴らしい眺めです。







緑が多くて、とてもよい所でした。


さて、日吉ダムから、同じく県道19号線を通って、美山に抜けました。
道もすいていて快適なクルージングを楽しめました。

美山では、去年行った、かやぶきの郷に寄りました。


これは蕎麦畑です。この右手のほうにも畑が広がっています。

平日でも、ここは賑わっていました。
観光バスで、たくさんのお年寄りが来られていました。


日本昔話の世界ですね。

ここでUさんと、よもやま話をして、のーんびり帰りました。

燃費は43km/Lとよく伸びました。
寒くなる前に、またどこかへ行きたいです。

きょうは、走行、約140㎞でした。



















金田福一兄によるみことばの説き明かし



・「キリストに会う」

この人たちが、ガラテアのベツサイダの人であるピリポのところに来て、
「先生、イエスさまにお目にかかりたいのですが。」と言って頼んだ。【ヨハネ12:21】


キリストに会うことこそ絶対です。
人間にとって、唯一のことです。

これを無視し、避けようとすることは、
人間の罪の根源です。

キリストに会うことは、真の誕生です。
キリストに会うことなき人間の誕生は、無にすぎません。
キリストに会うことから始まります。
キリストに会うことによって、罪の赦しを得るのです。

新しき人生は、過去の罪の赦しから始まるのです。
キリストと共なる日々は、完成への道程です。
日々に彼を仰ぎ見ることによってへりくだり、
おのれのみにくさを踏み越えて清められていくのです。

不眠四十夜、呼吸困難の床に、私を衝撃した啓示です。
歓喜が苦痛を飲み尽くすのを覚えます。












2015年9月24日木曜日

水漏れ騒ぎ

早いもので、ウチの家を建て替えてから
もう25年近くが経ってしまいました。

そうすると、やはり思わなかったところが具合悪くなってきます。

先日、水道の検診に来たお姉さんが、
ウチのどこかから水漏れしていますよ、と、
おしえてくれました。突然の出来事です。

見てみると、言われたとおりに、
ウチの中では、どこも水を出していないのに
水道のメーターが動いています。


寝耳に水とはこのことで、
どこから水が漏れているかは、
専門家に見てもらうしかないという事が分りました。

相手は地面の中のことなので、
家の床板の下だったらどうしよう、と不安になりましたが、
放っておいたら、水道料金がどんどんかさむらしく、
どうしてもやらないといけないようです。


そんなことで、2つの業者に、見積もりをしてもらうことになりました。

見てもらった結果、どうやら水漏れは、
お風呂の給湯関係からだということが分かってきました。

おまけのことですが、
風呂釜が置いてある坪庭の近くに、
最近、足長蜂が巣を作っているらしく、
業者の人が見てくれているあいだに
蜂が何匹も、襲ってくるではありませんか!

これは余分のことで、蜂の駆除もしなくてはなりません。
なんでこうなるの!?


まあ結果的には、DIYの店で、蜂退治用のスプレーを買ってきて
蜂に向けてプシューッ、プシューッとやっていたら
いつの間にか、もう出てこなくなったので、
やれやれこれで、一つ目の問題は解決です。


ふたつ目。
工事は、床はめくらなくてもよさそうですが、
配管が通っている部分は、せまーい床下なので、
つらい姿勢でけっこうな時間を作業しなければいけないということで、
一つの業者は、難色を示しました。

そんな訳で、工事は、自動的にH設備という業者にやってもらうことになりました。


そして、2日がかりでやってくれた結果がこうなんですが、
お風呂内に、配管が露出しています。

モールをつけてカバーをしてくれたから、、じかに配管を見えることはないのですが、
こんな感じです。



何だか武骨な印象になってしまいましたが、これはこれで、仕方ありません。
配管なしの画像も撮っておいたら、比較できたでしょうが、そこまで気が回りませんでした。
ちなみに、シャワーのカランも新調されています。


1日目の工事が済んだところがこれです。
不細工!
そして、25年間、まだ壊れていない古い風呂釜!
ここで、これまでイカれたら、もうダブルパンチです。

そうなんです。
水回りの工事は高くつくんです!



2日目の工事で、こういう格好になりました。
ロートルの風呂釜に、末永くもってくれよとお願いしつつの完成です。

配管のカバーが、グレーだったらもっと良かったのに、と思うのは
欲張りすぎでしょうか(苦笑)





















金田福一兄によるみことばの説き明かし



・「イエスさまを信じて」

イエスは彼女に言われた。
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、
とわたしは言ったではではありませんか。」 【ヨハネ11:40】



信じるということは、おまかせすることです。
あとに不安が残るなら、おまかせしていないのです。

おまかせすることができるのも、主が来てくださり
共に居て下さるからです。
不安があるなら、信仰とは言えません。自力です。

おまかせするということは、
乳飲み子が母親に信頼しているほど無邪気なことであって、
決して努力ではありません。

そのようにイエスさまを信じて、顔をあげて、
明日を迎えましょう。

ほほえみを浮かべ、賛美を口にしながら前進いたしましょう。

病の明日に向かって。

失業の明日に向かって。

倒産の明日に向かって。

苦しみの前の明日に向かって。

決して暗くはない明日に向かって。









2015年9月15日火曜日

Nさんのバイクガレージ


私のブログによく登場されるNさんですが、
このほど、家を新築されました。
そして、かねてからの夢だったバイクガレージも建てられ、
ケータイに写メール(この言葉ふるーい)を送ってきてくれました。

小さな画面で見ても、なかなか良さそうな建物なので、
先日の休みに、見せてもらいに行ってきました。

はじめにお詫びなのですが、この日、私は不覚にも
デジカメを忘れて行ってしまったのです。(ありえんやろ!(# ゚Д゚)

それゆえケータイのカメラ(古いガラケーです)で撮った画像しか載せられなかったので
そのへんをどうぞ、お許しください。



Nさんは草津市にお住まいなんですが、
あれまあ、行ってみると、住宅街の一角に、こんなに可愛らしいガレージが建っていました。


私とNさんは、1997年にハーレーダヴィッドソン・スポーツスターと言うバイクを通して知り合ったので、もう20年近くの友人と言うことになります。


このガレージ、実はダイナオという個人経営の会社(社長と社員1名)が、セミオーダーで作ってくれて、このままのカタチでクレーンで釣り上げて、ここにドーンと置いたモノだとか。
なので、正確を期すと、建物ではないのだそうです。


バイクを持った人なら、一度はあこがれるバイク専用のガレージ。
Nさんはこれで、ひとつの夢を実現させました。


ガレージの中には、旋盤、ボール盤、フライス盤などなど。
金属加工ができる工作機械が並んでいます。
今度お邪魔したときには、もっとしっかり見なければ、、。


ジャーン!!
そしてこれがHARLEY-DAVIDSON sportster1200です。
Nさんのスポはもうこれ以上はいじりようがないやろ・・・というくらいいじってあって
Nさんのセンスと、工作技術がにじみ出た、ひとつの作品となっています。

ほんとうにお見事!って言えるくらいの出来ばえです。

私も、いまから7年ぐらい前には、同じバイクで違ったタイプのに乗っていましたが、
なぜか、バイクにまったく興味が無くなった期間があって、
その間に手放してしまっていたのでした。

これが、私が乗っていたスポーツスターです。



その後、現在のように、またバイクの趣味が戻ってきたのですが、
年齢なりの持ち方になってしまいました。

もう今から1200ccのオートバイに乗れるとは思えません。

これはもう、他の方の「作品」を見せていただくだけ、になったほうが現実的だと思えます。
Nさんのもう一台のバイク。ホンダPCX125とプチツーリングに行くぐらいが
身の丈に合っているのだと思います。


職場の同僚も最近、250ccのスクーターを買いました。
もうひとりのスポを通した友人、Uさんも一緒に、バイクにもってこいの良い季節を
近いうちに味わいに出掛けたいと思っています。

Nさんは、ほんとうに器用な方で、金属加工も、針仕事も、また大工仕事もこなされます。

デジカメを忘れなかったら、もっともっと細かいところまでご紹介できたのですが、
Nさん、すみません。
次回、寄せていただく時には忘れないようにします。

肝心のご新居の写真も撮り忘れてしまいました。


はあー、歳はとりたくありませんね(苦笑)
























「主に感謝せよ。」



「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は――
彼らを打ち負かされた。【第2歴代誌20:21~22】




「感謝する気持ちがなくても、『主よ、感謝します』と祈っていいのですか、
と質問なさった人があります。

イスラエルの人々は、困難な戦いに直面して、おじ恐れておりました。
感謝できるような状態ではありませんでした。
しかし、主の前に立ちました。主を仰ぎ望みました。
これは、私たちの戦いではなく、主の戦いだと示されました。

「主の勝利を見よ」と叫びました。

そして、「主よ感謝します」と賛美し始めたとき、
主が、彼らに、勝利をお与えになったのです。

暗い現状に、引き止められてはいけません。
暗いこの時こそ、勝利への転換の、チャンスではありませんか。

大胆に、主に感謝しなさい。












2015年8月23日日曜日

ガレージでBBQ\(^○^)/

この前、息子一家が来たときに、
いっべんBBQをしたいね・・・と話していました。

それが急に実現して、
なんとウチのガレージでやろう!ということになりました。

息子たちは、たびたびアウトドアに行っているので
道具類は全部持っているので、こんな感じになりました。


着火剤を垂らして炭をおこします。


これもちょっとしたコツが要るようで、炭が赤くなるまでは、
かなりウチワで煽いでやらなければなりません。



焦って、早くから網を乗せてしまいましたが、なかなか思うように焼けてくれません。


でも、いったん火がおこり出すと、プーンと例のええ匂いがしてきました。

さあさ、やれ焼けそれ焼け(^^♪


道行く人たちも、わア、ええニオイと言って笑顔で通り過ぎます。

ホルモンを焼き始めたところ、もうもうたる煙が出てきました(汗)


 
このあとは、食べることに専念したので、写真がありません。
ビールもぐいぐい進みました。
私たちにとっては、ほんとうに久しぶりのBBQだったので、
おいしかったですわ(*´▽`*)



BBQが済んでからは、この頃コタロウが凝っている、UNOをしました。



このあと、息子たち一家は、ウチにお泊りになりました。

チビたちは疲れも知らず、夜遅くまで家の中を、走り回るのでありました。





















金田福一兄によるみことばの説き明かし



・「その静けさの中で。」



生まれたばかりの乳飲み子のように、
純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。
それによって成長し、救いを得るためです【1ペテロ2:2】



子供にお乳を飲ませることは、母親の愛の意志です。

神の子が成長していくためには、
「飲まなければならない」という意思や努力は、必要ではありません。

「礼拝に行く、信じる、聖書を読む、お祈りをする」という、
こちら側の動作だけの信仰は、努力であって、
恵みではありません。

一日に何回か、その努力をやめて、
イエスさまの御手の上にゆだねきって、
上からの養いを受けることが、信じるということであり、ゆだねるということです。

その時、一切の不安、焦燥、心配、努力をやめなさい。
受けるという意思さえ必要ではありません。

その静けさの中で、あなたはいやされ、深められ、

成長していくのです。