2009年4月30日木曜日

孫の入院

しばらくこのブログを更新できなかったあいだに、いろいろなことがありました。

まずぼくの新しい仕事が始まり、4月8日から29日まで実習ならびに研修がありました。
昨日までにすべての課程が無事に終了し、明日5月1日から、新しい「小規模多機能施設」での仕事が始まります。
小規模多機能施設施設というのは、地域密着型の介護施設で、デイサービス、ショートステイ、ホームヘルプが3本柱になった、24時間365日稼動する、新しいタイプの、高齢者のための施設です。
明日がオープンなので、介護員もみな横並び。一斉のスタートとなります。
これからどのようになってゆくのか分かりませんが、とても楽しみです♪
一生懸命頑張ります!


さて、生まれて10ヶ月になった孫のコタロウが、早くも保育園に行き始めました。
でも行きだしたとたんにアデノウィルスとかにやられて肺炎になり、行きつけの小児科の先生の奨めで
約4日間、入院するはめになりました。
おかげでいまはもう元気になりましたが、一時は40度以上の熱が出て心配しました。

                      点滴が痛々しい孫のコタロウ


                    つかまり立ちができるようになりました

                           小さな靴!

もうひとつ大きな出来事がありました。
松山にいたぼくの上の姉が、入っていた老人ホームが閉鎖されることになり、45年ぶりに京都に戻ってくることになりました。
姉の予算内で入れるマンションかアパートを探しに、もうひとりの姉が奔走してくれて、どうやら落ち着く先が決まったようです。
ほんとうに人生、何が待っているか分かりません。
だけど、イエスさまに拠り頼んでいるぼく達は、明日のことは心配する必要がないので感謝です。
何が起きようと、それをすべて神さまの御手からと受け取り、すべてを委ねてゆけることはなんと幸いなことでしょう!
主よ。感謝します!
『だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります。』 マタイの福音書6:34


2009年4月2日木曜日

主の守り

昨日のことになりますが、何十年ぶりかで交通反則切符を切られました。

片側4車線の大きな交差点を渡ったら、警官がおいでおいでをしているのです。
「ん?何ですか?」と言って停まったら、
おたくが走って来はったのは左折車線です。「指定通行区分違反」になります。点数1点で反則金は6,000円になります。ですって(涙)
免許を取って以来40数年間、何百回となくそこを通って来ましたが、こんなことは初めてです。
バイクは軒並みに捕まっていました。

実は家を出るとき、「主よ、これから灯油を買ってからもうひとつの用事をします。どうぞお守り下さい。」と祈ったのでした。
だのに、なぜこんな事になるのか合点が行きませんでした。
来月末まで収入がゼロになるのに、なぜ余計な罰金を払わなければならないのか・・・・とちょっとイエスさまに対して怒りの心もありました。

でも家に帰って母にそのことを言うと母は、「事故に遭うより良かったじゃないの。」と言いました。

それでもぼくは憤懣が納まりませんでした。
たった1点のことで、4年後の免許更新のときももうゴールド免許は望めません。

でも、きょう散歩しながら祈ったとき、主はこのメッセージをぼくに思い出させられたのです。

『荒野の食卓              ウォッチマン・ニー   3月2日

あなたがたを、つまずかないように守ることができ、・・・・大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方   ユダ 24

自分の生活を主の御手に託した私たちへのすばらしい約束がここにあります。というのは私たちの「栄光の御前」への小道にはたくさんの罠が仕掛けられているのですが、主はそうした罠から私たちを守ることを引き受けてくださっているからです。私たちはどんなときつまずきますか。障害物に全然気づかず、道で足が隠れていたものにぶつかったときです。しかしこのみことばは、私たちが普段意識の及ばないまさにその領域で神の加護があることを確信させてくれます。もし私たちが無制限に主に面倒を見ていただくことに決めたのなら、未知のものを恐れる必要はなくなります。神は何回も何回も、そのときは全く気づかないでいる様々な危険から、私たちを守っていてくださることを知ったなら、私たちはどんなに驚くことでしょう。』


あのときぼくは、バイクのステップ部分に満タンの灯油缶を置いて走っていました。
自分にとって不都合に思えるこの出来事も、あのまま走っていたら、ひょっとして数分先に事故に巻き込まれていたかもしれません。
そう思ったら怒りが感謝に変わりました。

イエスさまごめんなさい。
ぼくは1分先の事も分かりません。
あなたはすべてをご存知であられるがゆえに、あの場所で少しのあいだ、ぼくを停められました。
このことも必ず益であることを信じます。


これから介護施設で、利用者さんを乗せて走る機会が増えます。
その前に、危険から回避できるように導いてくださったことを感謝します。
どうか。これからもよろしくお願いします。
と、悔い改められたことが感謝です。

見えない方に、見えない将来も守られていることを実感した出来事でした。


『もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、
すべての人の中で一番哀れな者です。』Ⅰコリント15:19



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