2016年12月30日金曜日

璃子の誕生日会、クリスマス会、退職お祝い会

璃子の誕生日と私の退職と、クリスマスを兼ねて
たこ焼きパーティをしました。

クリスマスなのにたこ焼き?ですが、
璃子が食べたいと言ったのと、私もたこ焼きが大好きなのでそうなりました。



さあ始めよう!
と言ったところで、息子たちがたこ焼き器を持ってくるのを忘れたのに気づき、
あわてて伏見のマンションまで取りに行ってくれました。


へえ~
家でやってもちゃんと丸くなるんですね(^^♪
焼きたてを食べたら、とても美味しいのですが、熱いこと熱いこと!ふぅふぅふぅ・・・。



たこ焼きのあと、ちゃんとケーキも食べました。
右のものは、嫁ちゃんと璃子の合作。
中央のは家内の作。

どちらも甘さ控えめで、とても美味しかったです。


プレゼントのお披露目。
コタロウはドラゴンボールのグッズです。
ドラゴンボールって長続きしていますね!
息子が子供だったころからありますから、
もう25年以上続いています。


璃子はディズニーキャラクターの、「ツムツム」とかいうのをもらいました。




私は今回、退職することになったのですが、
病院時代を合わせると、8年8か月、介護の仕事をしたことになります。
よく続いたものです。

スタッフが足りない時なのに、辞めることになって、迷惑をかけてしまいました。
私は退職祝いに、ビールをワンカートンもらいました♬


ともあれ、次の目標に向かって、やっと歩き始めることができました。
ちょっとワクワクしています(^^♪

















金田福一兄によるみことばの説き明かし


・生けるキリスト

『そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、
 というのです。』ルカ24:23


救われた確信を持っていないキリスト者が多いようです。
信仰というものが、「心の働き」の世界から、解放されていないのです。

福音的な教理の受容さえも、
「心の働き」に過ぎないのです。

浄土真宗の表現を借りれば、「自力」に過ぎないのです。

感謝とか、平安とか言う信仰の境地を、自分で作り出して、
これを持続させようとする努力です。

そのような「心の働き」によっては、
不動の確信や、不動の平安というものは、
絶対に持つことはできません。

決定的なことは、生けるキリストとの出会い。
そのキリストのお力が、明確に、把握されていないということです。

信仰とは、私たちの「心の働き」ではないのです。










2016年12月29日木曜日

2つのクリスマスコンサート

早いもので、今年ももうクリスマスシーズンとなりました。

まずは例年通り、あるピアノの先生の発表会です。




今年も右京ふれあい文化会館で行われ、
ピアノソロあり、連弾あり、リコーダー、ミュージックベルと多彩な内容でした。


出演者はいつもと同じですが、今年は盲導犬のアルルちゃんが来ていませんでした。


私たち夫婦は、ジョンレノンのHAPPY CHRISTMASと白い色は恋人の色の2曲を歌いましたが、
写真はありません。


家内は今年も司会を頼まれました。
もう25年以上もやっています。

小さなミスはありましたが、何とかかんとかやり終えることができました。




そしてもうひとつ。
こちらは芦屋キリスト集会のクリスマス会での様子です。


Nさん。
伊勢正三の「22歳の別れ」とクラシックギターの名曲を弾いてくださいました。


ここでは「白い色は恋人の色」「およげたいやきくん」「丘の上の十字架」の3曲を歌いました。
歌詞カードを配ったので、全員合唱になりました。


口の悪い方からは「芦屋キリスト老人会」と言われてしまいましたが、
とても盛り上がりました(^^♪

やっぱり歌は楽しいですね!

先ほどのピアノの先生からも、芦屋の世話人の方からも
「来年もよろしく!」と言われています。






こうして見ると、ほんとうに老人会だということが分かります(笑)
子供たちもいるにはいるのですが・・・。


ではまた来年、会いましょう!















金田福一兄によるみことばの説き明かし


「確信の持続」

『見よ。
わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』マタイ28:20



「心の働き」が頼りないように、
「感激」の記憶も頼りないものです。

大集会の感激。
大先生の説教を聞いた感激。
しかし、すぐにだめになってしまいます。

現実のその人に、
平安と、感謝と、確信を持続させる力がないことがあるのです。

何が欠けているのでしょう?

イエスさまが、いつでも共に居て下さるという、
「臨在の確信」が欠けているのです。

その現実が、どんなに困難であっても、
その人が、どんなに弱い人であっても、
その不安や困惑感を、
いつでもすぐにゆだねて、
平安と確信を持続することができるのです。

それは、そばに居て下さるイエスさまのお力です。
私たちの力ではありません。








2016年12月13日火曜日

HIDからLEDへ(ヘッドランプ)

以前から気になっていたことなんですが、
これまで愛車につけてきたHIDヘッドランプ。
明るいことは明るいのですが、
上方向への光のモレが多く、
遠くの上のほうにある交通標識を照らしてしまったり、
対向車から、時々パッシングされたりしてきました。

なんとかしなくては・・・と思いつつ、ここまで来たのですが、
最近発売になった、あるメーカーのLEDヘッドランプが、
LOWビーム時に、上方への光のモレが完全にカットされていることを知り、
取り換えてみることにしました。

車用に売られているのが6,000円弱で、
バイク専用にとされているものは3,780円でした。

届いたものを見てみると、
「バイク兼用」と記されており、箱の中には本体が2点入っていました。


これだと1個をスペアとして置いておけるばかりでなく、
1個1790円で手に入れることができたことになります。

これはとってもラッキーですね(^^♪

これが全体像ですが、HIDと比べると、とてもシンプルです。



この写真ではわかりづらいですが、確かにLOWビームのLEDチップの横に
ひさしのようなものがついています。

ちょっと照り具合を見てみましょう。


これが今までのHIDのLOWビームです。
全体的にボヨヨーンと光っています。


上の写真とくらべて、横方向に長く光っており、
右上方向の光がカットされているのが分かります。

ツーリング仲間のNさんから、
絶対的明るさは、LEDよりHIDのほうが上と聞いていたのですが、
他車への迷惑を考えたら、少々暗くなるのは我慢しましょう。
といういうことでやってみました。

今までつけていたHIDの色温度は4300k(ケルビン)でちょっとだけ黄色味を帯びており、
道路が見やすかったのですが、こんどのLEDは6500k。
真っ白白の光です。
写真では判断つきかねますが、結果はどうでしょうか?


これもやはり爆光で、ちょっと見ただけではHIDとの差は分かりません。
そこで実際に走らせてみたところ、
このLEDのほうが、光が集まっているため、少しだけ明るいような気がするのです。

特に、まえのHIDのHIビームは、光が散りすぎて使い物にならなかったのですが、
こんどのは光が集まっているため、遠くまで見やすいような気がします。

たぶんこの値段で売られているものは、中華製だと思いますが、
ほんとうに安く買えて、コスパは最高でした♪

いままで対向車や前を走る車に「迷惑をかけている」という気持ちで走っていたのが
その心配が完全に無くなって、いまはとても嬉しいです。

HIKARIトレーディングのLEDヘッドランプ。
一押しです!













金田福一兄のみことばの説き明かし


『あなたが私と共におられる。』詩篇23:4
『私はいつも、私の前に主を置いた。
 主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。』詩篇16:8
『主と共に生きる。』第1テサロニケ5:10


「イエスさまが共に居て下さる。」、
これが一切です。
このことが一番大切なことです。
このことだけでいいのです。
私の敬愛している一人の姉妹は、高齢となり、
物忘れがひどくなり、何もかも忘れました。
何を聞いても駄目です。
ところが、彼女の心の中に、いっぱいに満ちているものがあります。
それは何でしょう。

イエスさまと天国のことです。
彼女はいつも、イエスさまと一緒なのです。
会う人ごとに、ニコニコ笑って、
イエスさまと天国の素晴らしさを話し、賛美するのです。

その明るさは、主がいつも共に居て下さると、
信じ切っている明るさです。
日頃からその確信をお持ちください。












2016年10月20日木曜日

2016枝豆狩りツーリング

久しぶりの投稿です。

去年行った、丹波篠山の枝豆採りに
今年も行ってきました。

この季節は、昼間と朝晩の気温差が大きく、
着ていく服がなかなか難しいです。

けっこう迷いましたが、ジャケットを着たら
下は半そででもええやろということにして、
7時半にスタートしました。

メンバーはいつものNさんとUさんです。


沓掛のコンビニで集合して、走り出したのはいいのですが、
老ノ坂トンネルを越えた亀岡側はどんよりしていて、
寒いこと寒いこと!

自宅を出発する時は晴天だったので、カッパを持ってきませんでしたが
大丈夫でしょうか?

ぶるぶる震えながらも、ともかくNさんについて行きました。


Nさんは、ご自分のバイクにも、色々と工夫をされています。
このスマホフォルダー、ペットボトルフォルダーも自作。
スマホフォルダーは、明るい所でも見やすいように、シェード付きで、
雨からも守ってくれるそうです。

スマホは一般のナビより詳しくて、最新の情報を提供してくれるので
重宝されています。


そうこうしているうちに1時間半ほどで着きました。丹波篠山。
行ったところは、去年の農家ではなく、
もっと粒の大きい枝豆を提供してくれるところでした。


このおじいさんが案内してくれました。御歳81歳。
聞いたところ、私と干支がひと回り違うものの、同じ亥年の8月1日生まれでした。


見たところ、去年のものよりもかなり大粒です。
おじいさんが株を根元から切って渡してくれるので
私たちは豆を、枝から引きちぎって収穫するだけです。



畑とご自宅を合わせてたら、かなり広い地所をお持ちであることが分かりました。
とてものんびりとした気分になります。


朝の寒さはどこへやら。
作業をしている頃には暑くてたまらないほどになりました。
たくさん採れてバンザーイ(^^♪


帰ってからゆで上げて食べてみました。
豆自体に甘みがあって、とても美味しいです。

量がたくさんあったので、一部は枝豆ご飯にしましたが
それもとても美味しかったです。

Nさん、Uさん、お疲れさまでした。
また一緒にどこかへ行きましょう!


この前、私のバイクのウェイトローラーを換えてから
出足加速は良くなったものの、50~60kmのスピードで走ると、
やたら回転ばかりが上がってしまっていたので、
これはきょうは燃費が悪そうだと思っていたのですが、
帰って給油してみたら38km/L近くも走ってくれたので、
こちらも大満足でした。












金田福一兄によるみことばの説き明かし


・みわざの始まる「時」

主の戦い【15】 主の勝利を見なさい【17】 主を信じなさい【20】 主に感謝せよ【21】
賛美しはじめた時【22】 (ぜんぶ2歴代誌20章)


ユダの人々は、絶対不利な状況の中で、

「これは主の戦いだ。主の勝利を見よ」という

み言葉を与えられました。

彼らが、「主を信じて」て、

「主に感謝せよ」と、

「賛美しはじめたとき」、

主の勝利のみわざが始まり、

彼らは勝利を得たのです。

信仰の勝利は、

あなたが打ち勝つのではありません。

主のみわざが始まるのです。

その「時」はいつですか。

あなたが、自分の暗い現実ばかりを見つめて、

「まだ駄目だ。だから賛美できない。

感謝できない」と言っているあいだは、

みわざが始まらないのではありませんか。

「主を信じる」ということは、

暗い現実の中から、顔を上げて、

「主に感謝せよ」と、大胆に、

賛美しはじめることではありませんか。













2016年8月18日木曜日

こんどはインターホンが壊れた!

インターホンって、壊れてもなかなか気がつきません。
何かのタイミングで、外から来たお客さんが、
「鳴りませんよ」って言ってくれて、
初めて気づきます。

もう25年近く使って来たので
たぶん寿命だったのでしょう。

で、ホームセンターへ新しいのを買いに行ったのですが、
音だけのインターホンって、今はなかなか見つかりません。

そして、悪いのはインターホン自体もそうなんですが、
配線の老朽化もあるかも知れないんです。

配線が悪かったら、もうお手上げですよね。
それで、今回は無線のものでテレビ付きのものにしました。

これって、親機は100v電源ですが、
子機は電池式です。
でも、夜でも来訪者の顔が見えるように
LEDランプ付きです。


電池式で、電池がどれくらいもつのかが問題ですが、
ふつうのアルカリ電池で、半年以上もつんですって。

こんなものでも、新しくしたら、早く実感したいですね。
お客さんがボタンを押してくれるのが待ち遠しいです。



それにしても去年から、水道の水漏れ、
お風呂の湯沸かし器と、寿命と思われるものが次々に来て
物入りです。
まあもうみんな、長いことつかっていますから仕方がありませんね。











金田福一兄によるみことばの説き明かし

・勝利の信仰

父よ。みこころならば、この杯を私から取りのけてください。
しかし、私の願いではなく、みこころのとおりにしてください【ルカ22:42】


勝利の信仰とは、物事が、

祈願の通りになることではありません。

たとえ、どんなに悲劇の現実でありましょうと、

神の聖意志に対して、

感謝と喜びをもって服従し得ることこそ、

現実に勝利する信仰です。

「聴かれざる祈り」という悲壮な信仰は、

英雄主義であり、自力にすぎません。

神の聖意志、神の必要、神のご都合は、

人間のいっさいの願望に先行するものです。

罪のみの自らが、

神に受容されていることを知る時、

その神を受容する信仰に変えられますが、

そこにおいては、いっさいの苦難も悲劇も、

恩寵の使命にと変わるのです。

いかなる患難をも喜ぶことなくして、

どうしてキリストの証人と言えるでしょう。




2016年7月4日月曜日

私の乗ってきたバイクたち(その2)



この前、乗ってきたトライアンフの写真を載せましたが、
長すぎるマフラーは私好みではなく、排気音もしょぼかったので、
思い切って英国のメーカーに、特注して、マフラーを作ってもらいました。


BSAゴールドスター型のマフラーは、願っていた通りの、低くて野太いサウンドを奏でてくれました。
また、シートも、好みのカタチに整形しなおしました。

残念ながら、このバイクの写真は、これ一枚しかありません。

さて、ヤマハSR500改も、トライアンフTR-750改も
充分に、楽しませてもらったのですが、
たまたまハーレーの展示試乗会に行って、試乗車に乗ってみたら、
その排気音と心地よい振動に、いっぺんに参ってしまいました。

とは言っても、大きなハーレーには、食指が動きませんでした。
気に入ったのはスポーツスターと呼ばれる、小型のハーレーでした。


この写真は、ウチに来てまだ間がない頃のものですが、
分厚いシートは全く好みではなく、すぐに削って張り替えました。


これはシングルシートに付け替えた写真です。
テールランプが英車のものに変わっています。

小さな車体でしたが、エンジンは1200ccもあるので
アクセルをひねると、ドカンとパワーが出て、とてもエキサイティングでした。


この時点では、シートが薄く削られました。
マフラーも、メガホンタイプの2本だしに変わっています。




ここでは、アメリカの職人さんに特注して作ってもらった、一品物のアルミタンクが載りました。
バイクのイメージが、がらりと変わっています。





振動でフェンダーが割れてきたのをきっかけに、前後フェンダーをマルーンに塗り替えました。
シートも変わっています。
国産車のものを加工して、取り付けられるようにしました。
取り付け用の金具は、スクーターツーリングでおなじみのNさんに作ってもらいました。



純正のメーターが、振動で飛んでしまったので、社外品の小さなものに取り換えました。

前から見た時の、ヘッドランプ周辺が、とてもスッキリしました。



残念ながら、このあと何年か、バイクにまったく興味のわかない時期があって、その間に
このスポーツスターも手放してしまいました。

これらのバイクたちを持っていたころには、車検や整備から細かなメンテナンスまで
ぜんぶ自分でやっていたのですが、
いまはオイル交換するのも、自分でやるのはめんどくさくって、バイク屋さんにまかせてしまって
います。



いまもう一度、大きなバイクが持てるとしたら、やっぱりスポーツスターがいいです。
バイクって、ホントに楽しいですから。









金田福一兄のメッセージ
 『臨在の確信』

主がいつでも、私と共に居てくださるという臨在の確信を、どうして与えられるかということを、私に示されたところによって、書かせていただきます。

それはまず、神さまからの恵みであるということです。神さまの恵みのわざを、「精霊の働き」、「御霊の働き」と言います。
御霊がお働き下さるとき、イエスさまが、私と共に居てくださるということが、フッとわかるのです。

その時は、必ず、聖書のみ言葉をもって、イエスさまが、語りかけて下さるので、ご臨在が分かり、ご臨在を信じることができるようになるのです。
ご臨在が分かり、このことが確信になった、その時から、その人は、変えられて参ります。

その人を変えなさるのは、イエスさまご自身です。自力で自分を変えるのではありません。イエスさまのお力、神さまの恵みによって、変えられていくのです。いままで、平安と感謝がなかったのは、自力であったからです。

また、臨在の確信の根拠になるものは、みことばの御約束です。
「見よ、わたしは世の終わりまで、あなたがたと共にいる」というイエスさまの御約束は、厳然たるものです。(マタイ28:20)
私たちがどんなに罪深くても、どんなに欠点だらけであっても、どんなに弱くても、イエスさまは私たちに来てくださり、十字架によって罪を赦し、そのご支配の中に入れてくださり、いつでも私たちと共に居てくださいます。(コロサイ1:13,14)

このみことばを、すなおに、大胆に信じてください。「私はだめだ」と思ってはいけません。それはイエスさまを、信じないことになるからです。
だめな私たちだからこそ、共に居てくださるのです。「信じなければならない」と、焦ったり、骨を折って考えたり、努力したりする必要はありません。
「イエスさまが共に居てくださる」という臨在の確信は、私たちの意識の底に沈み、イエスさまに対する信頼感、安心感となります。

また、臨在の確信に生きる生活は、いつからどのようにして始まるのかといいますと、イエスさまは、いつでもそばに居てくださるのですから、そのお約束を大胆に信じて、「主よ、感謝します」という言葉を、口癖にし始めた時から、始まるのです。

心が乱れたり、暗くなったりしそうになっても、すぐに、「主よ、感謝します」とお礼を先に言ってください。
信仰の勝利は、感謝と賛美から始まるのです。お礼を言うことに鈍感なことは不信仰にすぎません。

考え込んだり、焦ったりするより先に、「感謝します」とお礼を言ってしまうことは、信仰そのものなのです。
何があっても、「主よ、感謝します」と言って下さい。

なぜ感謝しなければならないかと考え込んでしまうようでは、信仰生活というものではありません。
いつでもそばに居てくださり、どんな患難にも、打ち勝たせてくださるのですから、「主よ、感謝します」と何があっても、お礼を申し上げるのは当然です。

思い案じて、いい結果になったので、始めて感謝するというのは、ご利益宗教にすぎません。信仰ではありません。








2016年6月6日月曜日

梅雨入り前のひとっ走り

先日の休みにツーリングに行ってきました。

きょうはいつものUさんNさんと、もうひとり
仕事場同僚のI君も一緒です。




Iくんの愛車は、ヤマハ・マジェスティと言って250ccのスクーターです。


250ですから、私たちの125、原付2種と違って軽2輪です。
自動車専用道路や高速道路も走れます。

このクラスは、ビッグスクーターと呼ばれていて
車体も大きくて、迫力があります。


このマジェスティは、車体がローダウンしてあるので、足が地面につきやすいです。
アイドリング時の音など、ヘリコプターのような音がします。




さて、どこへ行くかですが、
もともとは、「朽木に行ってそばを食べよう!」という趣旨だったので
取りあえず、鯖街道から朽木に行きました。


注文したのは山かけそば。
シコシコとした歯触りに大満足です。


とっても美味でした。



さて、どこへ行こうかということで、Nさん先導でやって来ました。

マキノにあるメタセコイア並木道。

うわぁ まっすぐな道!


ホントにきれいな直線道路です。
ここで1台1台、記念写真を撮りました。




そして、このそばにあった施設、マキノピックランドで、
名物のジェラートをいただきました。




ソフトクリームより冷たくて、美味しかったですよ。


帰りは、琵琶湖岸の161号線を通って帰って来ました。

走行距離175km。
燃費 約42km/Lでよく走ってくれました。















金田福一兄によるみことばの説き明かし


・真の幸福

どうか、彼らの心が―――わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るように。
そして、彼らも、その子孫も、永久にしあわせになるように。【申命記5:20】


神さまは、私たちの不幸を望んでおられるお方ではありません。

私たちの幸福を望んでおられると思います。

しかし、その幸福は、物質的な繁栄ではなく、肉的な幸福でもないと思います。

自分の幸福のために、神さまを服従させようとしてはいけません。

むしろ、救われた神の子たちは、喜んで、地上の幸福を、神さまにお捧げいたします。

救われた神の子たちにとっての幸福とは、いつも共に居てくださるイエスさまの愛を、
実感していることに他なりません。

彼らは、地上の患難や、不幸と思われることの中で、キリストの愛を体験し、
感謝にあふれた生活を営むのです。

そこに、彼らの幸福があるのです。