たこ焼きパーティをしました。
クリスマスなのにたこ焼き?ですが、
璃子が食べたいと言ったのと、私もたこ焼きが大好きなのでそうなりました。
さあ始めよう!
と言ったところで、息子たちがたこ焼き器を持ってくるのを忘れたのに気づき、
あわてて伏見のマンションまで取りに行ってくれました。
へえ~
家でやってもちゃんと丸くなるんですね(^^♪
焼きたてを食べたら、とても美味しいのですが、熱いこと熱いこと!ふぅふぅふぅ・・・。
たこ焼きのあと、ちゃんとケーキも食べました。
右のものは、嫁ちゃんと璃子の合作。
中央のは家内の作。
どちらも甘さ控えめで、とても美味しかったです。
プレゼントのお披露目。
コタロウはドラゴンボールのグッズです。
ドラゴンボールって長続きしていますね!
息子が子供だったころからありますから、
もう25年以上続いています。
璃子はディズニーキャラクターの、「ツムツム」とかいうのをもらいました。
私は今回、退職することになったのですが、
病院時代を合わせると、8年8か月、介護の仕事をしたことになります。
よく続いたものです。
スタッフが足りない時なのに、辞めることになって、迷惑をかけてしまいました。
私は退職祝いに、ビールをワンカートンもらいました♬
ともあれ、次の目標に向かって、やっと歩き始めることができました。
ちょっとワクワクしています(^^♪
金田福一兄によるみことばの説き明かし
・生けるキリスト
『そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、
というのです。』ルカ24:23
救われた確信を持っていないキリスト者が多いようです。
信仰というものが、「心の働き」の世界から、解放されていないのです。
福音的な教理の受容さえも、
「心の働き」に過ぎないのです。
浄土真宗の表現を借りれば、「自力」に過ぎないのです。
感謝とか、平安とか言う信仰の境地を、自分で作り出して、
これを持続させようとする努力です。
そのような「心の働き」によっては、
不動の確信や、不動の平安というものは、
絶対に持つことはできません。
決定的なことは、生けるキリストとの出会い。
そのキリストのお力が、明確に、把握されていないということです。
信仰とは、私たちの「心の働き」ではないのです。