2016年2月19日金曜日

シグナスX 変速機リベンジ!


     先日、いったんチューニングアップをあきらめた変速機ですが、
  いろいろなことから考えた結果、
  バイク屋さんが、ある小さな部品を組み忘れたのではないかと言う結論に達しました。
  恐る恐る、バイク屋さんに尋ねてみると、「スンマセンなあ、預かってます」という返事。
  良かった!  
  
  それで、休みを利用して、再度あけてもらいました。
  ほんとうに薄くて小さなワッシャーを入れ忘れられただけなのに、
  性能は、大違いになるはずです(^^;


  それで今回は、最初にもくろんだ、Dr.Pullyという異形ウエイトローラーを使うことにしました。

  

プーリーに組むと こんな感じです。
  違いはほとんどわかりません。


  結果は?
  
  加速が良くなり、最高速も20km/hほど伸びました。
  もっと伸びる感じですが、最高速は、速くてもあまり意味がないので、
  これで充分です♪
  
  ともかくも、やっと狙っていた感じになりました。
  とっても嬉しいです(^^♪
  
  天気も良かったので、琵琶湖大橋まで、ひとっ走りしてきました。
  あとは燃費がどのように変化するか?です。
  楽しみです🎶










金田福一兄によるみことばの説き明かし


・臨在の世界

また、彼らの中のある人たちがつぶやいたようにつぶやいてはいけません。【1コリント10:10】
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。【ピリピ2:14】


「臨在の世界」に入れられた人たちのすばらしさは、
「つぶやかなくなる」ということです。

それは、言い換えますと、
不平不満を言わなくなるということです。
文句を言わなくなるということです。
神さまに対しても、人に対してもです。

更に、そのことを、逆にして言いますと、
「なんでも感謝して、お受けしていくようになる」ということです。

それは、一生懸命努力して、
そのようにするのではありません。

イエスさまの、お救いの中に入れられますと、
イエスさまのお力が、その人の人格を、
そのような人に、変えなさるのです。

以前は、自分という者を、価値の基準としていた人が、
神さまの価値観に、変えられるのです。









2016年2月12日金曜日

シグナスX クラッチ交換

ヤマハから、シグナスXのクラッチのリコールがあり、
きょう、バイク屋さんへ行ってきました。

この前、リアホイールを、無償交換してもらっていましたので、
今回も、消耗部品ではありませんが、何だか得をした気分です。


さっそく変速機をあけます。


ベルトでつながっている、二つの丸い部品の、右側がクラッチです。


クラッチ部分が外れました。左側が新しいものです。


今回は、ついでに、ウェイトローラーなる部品を交換しました。
変則のタイミングに大きく影響のある部品です。
これを軽くすればするほど、加速は良くなりますが、
最高速は落ちます。
重くすれば、加速は悪くなりますが、
最高速は伸びる方向になります。

右側の赤いリングyがついているのがノーマル。
左側の角ばったものが、今回使うウェイトローラーです。

これを交換すると、かなり加速が良くなるはず・・・でした。
ところが、取り付けて、いざ走ってみると
何だか回転ばかり上がって、思うように走ってくれません。

最高速も70km/hぐらいでリミッターが効いてしまって、
これはちょっとおかしい・・・。

バイク屋さんに戻って、様子を話すと、
こんどのウェイトローラーは、向きがあるので、
変えてみましょうとのことで、もう一度ばらして
組み直してもらいました。

すると今回は、なんだかギヤ比がとても高くなった感じで、
出足が良くありません。

それからバイク屋さんと、いろいろ話して
けっきょく元通りのものに、組み直してもらいました。

結果は、またハイギアードな感じで、
バイクが遅くなったように感じます。

でも走っているうちに、少しずつ改善してきました。
やっぱり「なじみ」があるのでしょうか?

スクーターの変速系ってなかなか難しいです。
でも、難しいから面白いのですね。


















金田福一兄によるみことばの説き明かし


・臨在の世界(その1)

何を食べようか、何を飲もうかと心配したり
何を着ようかと心配したりしてはいけません。
心配するのはやめなさい。
明日のための心配は無用です。【マタイ6:25,31,34】


生きておられるイエスさまが、いつでもそばに居て下さることを、
「臨在」と言います。

その世界に入れられた人たちのことを、「救われた神の子たち」といいます。
あなたもその一人なのです。

その人たちの不思議さは、「心配しなくなる」ということです。

それは、心配しなければならないことが、起こらなくなるからではありません。
神さまのご用に生きる人生には、大変なことも起こります。

しかし、「臨在の世界」では、少しも心配しなくともいいのです。
神さまが、よいようにして下さるからです。
「心配してはいけない」というお言葉は、
実に、やさしい、やさしい、お言葉なのです。