2016年8月18日木曜日

こんどはインターホンが壊れた!

インターホンって、壊れてもなかなか気がつきません。
何かのタイミングで、外から来たお客さんが、
「鳴りませんよ」って言ってくれて、
初めて気づきます。

もう25年近く使って来たので
たぶん寿命だったのでしょう。

で、ホームセンターへ新しいのを買いに行ったのですが、
音だけのインターホンって、今はなかなか見つかりません。

そして、悪いのはインターホン自体もそうなんですが、
配線の老朽化もあるかも知れないんです。

配線が悪かったら、もうお手上げですよね。
それで、今回は無線のものでテレビ付きのものにしました。

これって、親機は100v電源ですが、
子機は電池式です。
でも、夜でも来訪者の顔が見えるように
LEDランプ付きです。


電池式で、電池がどれくらいもつのかが問題ですが、
ふつうのアルカリ電池で、半年以上もつんですって。

こんなものでも、新しくしたら、早く実感したいですね。
お客さんがボタンを押してくれるのが待ち遠しいです。



それにしても去年から、水道の水漏れ、
お風呂の湯沸かし器と、寿命と思われるものが次々に来て
物入りです。
まあもうみんな、長いことつかっていますから仕方がありませんね。











金田福一兄によるみことばの説き明かし

・勝利の信仰

父よ。みこころならば、この杯を私から取りのけてください。
しかし、私の願いではなく、みこころのとおりにしてください【ルカ22:42】


勝利の信仰とは、物事が、

祈願の通りになることではありません。

たとえ、どんなに悲劇の現実でありましょうと、

神の聖意志に対して、

感謝と喜びをもって服従し得ることこそ、

現実に勝利する信仰です。

「聴かれざる祈り」という悲壮な信仰は、

英雄主義であり、自力にすぎません。

神の聖意志、神の必要、神のご都合は、

人間のいっさいの願望に先行するものです。

罪のみの自らが、

神に受容されていることを知る時、

その神を受容する信仰に変えられますが、

そこにおいては、いっさいの苦難も悲劇も、

恩寵の使命にと変わるのです。

いかなる患難をも喜ぶことなくして、

どうしてキリストの証人と言えるでしょう。