2017年8月6日日曜日

FACE BOOK

ここを見て下さっている皆さま。
長いこと更新しないでごめんなさいm(__)m

実は私の軸が、FACE BOOKのほうに移動しています。
日常のこまごまとしたことや仕事のことなどを
投稿しています。

ここを閉じるということはしませんが、
これからもここへの投稿はとても少なくなってしまうと思います。
重ねてお詫びします。

お許しくださいm(__)m


じっち


2017年4月11日火曜日

キモノ・アート・ワークショップの開講

去る4月3日、私の新しい仕事である
キモノ・アート・ワークショップを開講しました。

内容は、ポストカードに友禅画を描いてもらい、
額に入れて持ち帰っていただくというもので、
これまでに参加くださった方々から、
とても楽しかった。
途中はどうなるかと思ったけど、
出来上がったらすごく満足したと
好評をいただいています。

ふつうは一人前になるまで10年はかかるところを
2時間で完成していただけるよう、工夫しています。

オープンに際しては、たくさんの方々からお祝いの花をいただき、
感謝しています。
玄関に飾らせていただきました。

これからどんな方々との出会いが待っているか分かりませんが、
精一杯頑張る所存でいます。
皆さまどうぞ、ふるってご参加くださいますように!



来て下さる皆さまの力量に合わせて、比較的易しいものから、
2時間いっぱいかかるモノまで、9種類のポストカードを用意しています。
最後に額に入れたら、皆さま満面の笑顔になられるから嬉しいです。

いちおう書面では、月水金の営業になっていますが、
今週はイレギュラーで、火曜日も土曜、日曜もオープンしています。

お客様のご要望で、いかにでも対応しますので
よろしくお願いします。って、ブログが営業になってしまいました(^^;









金田福一兄によるみことばの説き明かし

・家庭の救い(その2)
『自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。』【マタイ16:24】
「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。』
【コロサイ3:13】


自分ばかりが正しいかのような考えは、お持ちにならないでください。
自分の愛が足りなかったことを、イエスさまにお詫びしてください。

これからは、ご家族の罪をあなたが負って、
お詫びしながら歩んでください。
これが「十字架を負う」ということです。

イエスさまとあなたと、二人きりになるなる時を、
できる限り作って下さい。

「主よ」と御名を呼んで、イエスさまの愛に浸って下さい。
ご家族の罪を責めないでください。
あなたが赦されたように、赦してあげてください。

いつか必ず救われますから、そのことを信じて、
その時まで、優しく、待ってあげてください。
いつもイエスさまに愛されているあなたですから。









2017年4月9日日曜日

大阪喜びの集い

きのう、きょうと、大阪桜ノ宮で、バイブルキャンプがありました。
私たち夫婦に「証し」をするようにということだったので、
この10年間の恵みを、証しすることができました。
コンサートも華々しく行われ、
多くの方々が楽しんでくださいました。
あいにくの天気でしたが、桜が満開で
晴れていたら、もっときれいだったのになと
ちょっと残念でした。



桜ノ宮というだけあって、どちらを見ても桜桜桜。
それが全部満開です!
雨がしとしと降っていましたが、
それでも地面にシートを敷いて
花見をされている方がおられました。


出演者は全員がクリスチャンなので、息がピッタリです♪
ハレルヤコーラスの迫力と言ったら!

歌う人も聴く側も、とても満足できたコンサートでした。








金田福一兄によるみことばの説き明かし

・家庭の救い(その1)

『彼女はパウロの話を注意深く聞いた。
そして、彼女も家族も洗礼を受けた。』【使徒16:14~15】

『主イエスを信じなさい。そうすれば、
あなたも家族も救われます。』【使徒16:31】


あなたが、イエスさまのお救いにあずかった時から、
ご家族全部が、イエスさまのご愛の中に入れられていることを
信じてください。
いつか必ず、ご家族全部が救われることを信じてください。
あなたのご苦労と悲しみを、主はご存知です。

ご家庭のいまの問題と、不安と焦りとを、
一切、主にゆだねてください。
全部の家族が救われる時と方法とは、
主におまかせしてください。

真っ先にお救いにあずかったあなたは、
誰よりもへりくだって下さい。
ご家庭の不幸の原因が、あなた以外の誰かにあるようなことは、
考えないでください。

イエスさまに愛されている人は、ご家族の罪を、
自分に引き受けることができるのです。



2017年3月3日金曜日

新しい仕事へ

今年も早や3月になりました。
歳をとると、日々が過ぎるのがとても早く感じます。

昨年末に介護の仕事を辞めた時には、次に何をするか
まだ決まっていなかったのですが、
いろいろ考えて、
やっぱり絵を描く仕事に戻ろう・・・ということになりました。

以前から絵画教室を開いたら・・・という話はあったのですが、
自分は人に物をおしえるのが苦手!という思いがあったので、避けて通っていました。

でも、ポストカードに絵を描くことは、ずっと続けていたので、
ポストカードだったら何とかなるのではと考え、
そうだ、和柄を描こう!と思い立ったのでした。

それも自分が描くのではなく、
お客さんが描けるように、手助けができたらと
思いが進みました。

ネットで調べてみると、絵画教室は数ありますが、
キモノの図案をおしえているところは見当たりませんでした。

和柄を描くのはけっこう難しくて、
修行を始めても、10年以上経験しないと一人前になれないのです。

そんな難しいことを、わずかな時間で教えられるだろうか?
と、最初は思いましたが、考えれば何とかなるものです。
アイディアを思いつきました。

息子に相談したら、いまはネットの時代だから、
ネットで拡散したらうまくいくかも?と言って
ホームページを作ってくれました。

https://kojimax1977.wixsite.com/kimono-art-workshop

詳しいことはここに全部書いてありますので
ぜひ見てみてください。

スタートは4月3日です!
頑張ります!











金田福一兄によるみことばの説き明かし

・このままで

「わたしもあなたを罪に定めない。
 行きなさい。
 これからは。もう罪を犯してはならない。
 私は世の光である。
 私に従う者は暗闇の中を歩かず、いのちの光を持つ。」ヨハネ8:11~12


過去の罪責が赦されると思いましたが、
その時はまだ、生けるキリストが分かっていませんでした。
キリストとの間に距離がありました。

しかし、生けるキリストが、
み声をかけてくださいました。
キリストを眼前に仰ぎました。

キリストとの間に距離がないというだけでなく、
私という存在が、罪があるがままに。
罪を犯そうとするがままに。
罪を犯すがままに、
キリストのみ腕の中に、入れられていると知りました。

現在だけでなく、生ける日の限り、未来までもです。

「このままで赦されている」ということは、大変なことです。
大変なことが私に起こったのです。
このことが、あなたにも起こりますように。



2017年2月12日日曜日

早春の日々

とても長い間、ブログを更新できませんでした。
介護の仕事は、去年の12月で卒業して、
いまは晴れて自由な身なのに、
何故か更新をさぼっていました。

いまは4月から始める、新しい仕事への準備をしています。
それはかつての僕の本業だった、着物の図案を描く仕事です。

でもいま僕が描いているのは、お手本になる文様で、
それ自体が売り物になるわけではありません。

ともかく、もう少ししたら公開できると思います。
いましばしお待ちください。


いまは通勤がないので、シグナスの走行距離の伸びが
一気に悪くなりました。
通勤していた時は、毎日往復10kmぐらいずつ
コンスタントに走れていたのですが、
いまは、週に2,3度、近くへの買い物に使うぐらいなので
バッテリーが上がらないか心配なくらいです。

フロントのタイヤももう限界で、
暖かくなったら交換しようと思っています。

立春が過ぎたとはいえ、現実は今が一番寒い時期ですね。
もうちょっと辛抱すれば、いい季節がやって来ます。
もうちょっと。もうちょっとですね。








・金田福一兄のメッセージ

『疲れた者、重荷を負う者は、
 だれでもわたしのもとに来なさい。
 休ませてあげよう。』マタイ11:28新共同訳


イエスさまは、あなたのすべての罪を赦して、
十字架の愛をもって、あなたを受け容れてくださいます。
あなたは、イエスさまのみ腕の中で、
自分の罪に気づかれるでしょう。

そして、イエスさまが、あなたの罪のために、
十字架にかかって下さったのだということが、
お分かりになるでしょう。

あなたは、ご自分の罪に、まったく気づいておられません。
あなたの心の中にあるものは、自分の幸福だけであって、
他者への愛と、奉仕の思いが欠落しています。

人が生きるのは、自分のためではありません。
他のためです。
しかし、イエスさまの愛と赦しの中に入れられなければ、
自分のその罪には、誰も気づかないのです。

もしあなたが、イエスさまの愛の中で、
赦される喜びを発見なさるならば、
今まで無意味だと思っていた勉強も、
他に仕えるための手段として、生きてくるでしょう。

何よりも根本的なことは、
イエスさまにお出会いすることです。
イエスさまにお出会いしなければ、
自分の罪の中で死んでいくだけです。

きょうからあなたの救いのために祈ります。










2016年12月30日金曜日

璃子の誕生日会、クリスマス会、退職お祝い会

璃子の誕生日と私の退職と、クリスマスを兼ねて
たこ焼きパーティをしました。

クリスマスなのにたこ焼き?ですが、
璃子が食べたいと言ったのと、私もたこ焼きが大好きなのでそうなりました。



さあ始めよう!
と言ったところで、息子たちがたこ焼き器を持ってくるのを忘れたのに気づき、
あわてて伏見のマンションまで取りに行ってくれました。


へえ~
家でやってもちゃんと丸くなるんですね(^^♪
焼きたてを食べたら、とても美味しいのですが、熱いこと熱いこと!ふぅふぅふぅ・・・。



たこ焼きのあと、ちゃんとケーキも食べました。
右のものは、嫁ちゃんと璃子の合作。
中央のは家内の作。

どちらも甘さ控えめで、とても美味しかったです。


プレゼントのお披露目。
コタロウはドラゴンボールのグッズです。
ドラゴンボールって長続きしていますね!
息子が子供だったころからありますから、
もう25年以上続いています。


璃子はディズニーキャラクターの、「ツムツム」とかいうのをもらいました。




私は今回、退職することになったのですが、
病院時代を合わせると、8年8か月、介護の仕事をしたことになります。
よく続いたものです。

スタッフが足りない時なのに、辞めることになって、迷惑をかけてしまいました。
私は退職祝いに、ビールをワンカートンもらいました♬


ともあれ、次の目標に向かって、やっと歩き始めることができました。
ちょっとワクワクしています(^^♪

















金田福一兄によるみことばの説き明かし


・生けるキリスト

『そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、
 というのです。』ルカ24:23


救われた確信を持っていないキリスト者が多いようです。
信仰というものが、「心の働き」の世界から、解放されていないのです。

福音的な教理の受容さえも、
「心の働き」に過ぎないのです。

浄土真宗の表現を借りれば、「自力」に過ぎないのです。

感謝とか、平安とか言う信仰の境地を、自分で作り出して、
これを持続させようとする努力です。

そのような「心の働き」によっては、
不動の確信や、不動の平安というものは、
絶対に持つことはできません。

決定的なことは、生けるキリストとの出会い。
そのキリストのお力が、明確に、把握されていないということです。

信仰とは、私たちの「心の働き」ではないのです。










2016年12月29日木曜日

2つのクリスマスコンサート

早いもので、今年ももうクリスマスシーズンとなりました。

まずは例年通り、あるピアノの先生の発表会です。




今年も右京ふれあい文化会館で行われ、
ピアノソロあり、連弾あり、リコーダー、ミュージックベルと多彩な内容でした。


出演者はいつもと同じですが、今年は盲導犬のアルルちゃんが来ていませんでした。


私たち夫婦は、ジョンレノンのHAPPY CHRISTMASと白い色は恋人の色の2曲を歌いましたが、
写真はありません。


家内は今年も司会を頼まれました。
もう25年以上もやっています。

小さなミスはありましたが、何とかかんとかやり終えることができました。




そしてもうひとつ。
こちらは芦屋キリスト集会のクリスマス会での様子です。


Nさん。
伊勢正三の「22歳の別れ」とクラシックギターの名曲を弾いてくださいました。


ここでは「白い色は恋人の色」「およげたいやきくん」「丘の上の十字架」の3曲を歌いました。
歌詞カードを配ったので、全員合唱になりました。


口の悪い方からは「芦屋キリスト老人会」と言われてしまいましたが、
とても盛り上がりました(^^♪

やっぱり歌は楽しいですね!

先ほどのピアノの先生からも、芦屋の世話人の方からも
「来年もよろしく!」と言われています。






こうして見ると、ほんとうに老人会だということが分かります(笑)
子供たちもいるにはいるのですが・・・。


ではまた来年、会いましょう!















金田福一兄によるみことばの説き明かし


「確信の持続」

『見よ。
わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』マタイ28:20



「心の働き」が頼りないように、
「感激」の記憶も頼りないものです。

大集会の感激。
大先生の説教を聞いた感激。
しかし、すぐにだめになってしまいます。

現実のその人に、
平安と、感謝と、確信を持続させる力がないことがあるのです。

何が欠けているのでしょう?

イエスさまが、いつでも共に居て下さるという、
「臨在の確信」が欠けているのです。

その現実が、どんなに困難であっても、
その人が、どんなに弱い人であっても、
その不安や困惑感を、
いつでもすぐにゆだねて、
平安と確信を持続することができるのです。

それは、そばに居て下さるイエスさまのお力です。
私たちの力ではありません。