早いもので、、私が介護の世界に入って
自分では、毎日が新しい試練の連続で、
ちっとも進歩していないようにおもえるのですが、
そのレベルを確かめるべく、
病院時代を合わせると、まる5年になりました。
介護福祉士国家試験を、去る1月に受けました。
事前に参考書を読み、模擬試験のようなものもやっていたんですが、
いざ本番に臨んでみると、見たこともないような問題ばかりで
かなり難しかったです。
自分が出した答えを、問題用紙に書き込んで
家に帰ってすぐ、ウエブで解答速報をてらして見たんですが、
点数自体は充分合格ラインに達していたものの、
10項目ある試験の、ひとつの項目を落としていたため、
不合格であることがその場でわかってしまいました。
なまじ、問題を解くのが早くできたため、
見直しをして、書き直したものが間違っていたのです。
たった一問。たったの一問を間違ったために
不合格だなんて、悔しくて胸をかきむしられる思いでした。
(+_+)な気持ちで祈っていたとき、
心の中に、ルカ18章の、うるさいやもめと
不正の裁判官の記事。
また、同じくルカの11章に出てくるしつこい友達の記事を通して、
私に、執拗に祈ることを主は示されました。
それからというもの、ともかく起きているあいだはずっと
合格させてください。受からせてください。
奇跡をおこしてください。
みわざを見させてください。
あなたにできないことはありませんと祈り続けました。
目に見えるカタチでは、まったく希望はありません。
でも私はみことばと、イエスさまだけに希望を抱いて
お念仏のようにずーっと祈り続けたんです。
そうこうしているうちに、日々の光2月24日のみことばに、
『神である主はこう仰せられる。
わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れよう』エゼキエル36:37
というみことばが語られたのです。
私は飛び上がって喜びました。
願いが聞かれる♪
私の願いも聞き届けられる。と、本気で信じました。
そして祈りも、一方的なお願いから、
「主よ。私の願いをお聞き届け下さり、ありがとうございます。」という
感謝の祈りに変わって行きました。
でも見えるものにまったく希望はなく、
祈ってもどうせ無駄だ。というささやきと
主のみことばとの激しい戦いでした。
実際にどうなるかは「神のみぞ知る。」でした。
いよいよ合格発表の日、半分以上のあきらめの気持ちと
少しの希望を持って、
ドキドキしながらパソコンを開きました。
そうしたら、あったんです!私の受験番号が!
私はそばでうたた寝をしていた家内をたたき起こして、
確かにこの番号やなあ♪
間違いないなあ♪と、ふたりで確かめて喜び、主に感謝を捧げました。
2日ほどして「国家試験合格証」も届いて、
不可能を可能にしてくださった主に、再び感謝の祈りを捧げました。
神さまをとても身近に感じました。
いまでも、自分が、あこがれの介護福祉士になれたなんて信じられません。
そのたびにそっと合格証を出して、夢ではないことを確かめています。
実際の仕事上では、これからどのように成果が現れるかまだ判りませんが、
自分に出来うる限りのことはやって行きたいと思っています。
あー嬉しいな(@^^)/~~~
『あなたがたがキリストの弟子だというので、
あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、
決して報いを失うことはありません。
これは確かなことです。』マルコの福音書9:41